日本臨床睡眠医学会
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第3回 現代医学と睡眠について ~生理的であるということ~

2009 年 8 月 31 日

           

テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
               神経内科神経生理部門 河合 真

 先日私の睡眠クリニックに「日中の眠気」を訴えて30歳代の男性が来ました。仕事上睡眠時間が4-5時間しか取れていない上に、交代勤務で夜勤の仕事もこなしていました。平日は眠気が強く、週末はいわゆる「寝貯め」をして一日に14-5時間寝るという典型的な睡眠不足状態に交代勤務が重なっていることが原因の「日中の眠気」と思われました。

 ただし、彼自身もそれはわかっていたようで、受診した理由は別のところにありました。曰く「最近、日中の眠気が原因で仕事の成績が悪い。睡眠時無呼吸症候群かナルコレプシーがないか調べてほしい」とのことでした。「多少いびきをかくかも?」と言ったこともありPSGとMSLTまでやりましたが、結果は正常でした。

 みなさんにもおそらく同意していただけると思いますが、この状態に診断名をつけるとすると「睡眠不足症候群」に「概日リズム障害 交代勤務睡眠障害」ということになります。

 ICSD-2にも載っている病名ですし、「睡眠専門医」として診断を下した!と満足しても悪くはないと思います。治療に関しては、この患者さんの場合同僚に引けを取りたくないということもあり、自分で勤務調整をする意思がありませんでした。とりあえず、睡眠日誌をつけることと睡眠時間延長を指示しました。

 その後、同じ患者さんが2回目に受診したときに「実はモダフィニルをインターネットで購入している」と告白してくれました。米国でモダフィニルは特に濫用薬物という認識はなく、処方も(麻薬ではなく)普通の処方箋で可能です。そして、交代勤務による概日リズム障害に対して適応が認められています。日本ではリタリンの騒動があったため、モダフィニルに対しても神経質になっている風潮があるようですが、米国では通常の薬剤のひとつという認識です。インターネットで買うことをやめるように指導し、医師が処方することで管理下において、なんとか睡眠時間延長と組み合わせて漸減中止していくことを目指しています。

 実はこの患者さんはモダフィニルが交代勤務による概日リズム障害に適応があることを知っていました。入手方法に問題があるとしても、薬剤を適応がある疾患に対して服用してなにか問題があるのか?と聞いてきました。なかなか難しい質問ですが、皆さんならどのように答えますか?ここで何か違和感を感じませんか?

 もちろん日本では覚醒作用のある薬剤による濫用の歴史があるので、慎重になる必要があると思います。が、そのことは今回は触れないでおこうと思います。私が問題にしたいのは「この人は果たして病気なのか?」ということなのです。

 上記の男性の問題を根本的に解決する方法は、実はとても単純で毎日8時間睡眠をとり、交代勤務をやめるか、減らすことです。もちろん実行することは簡単ではないでしょう。この男性はおそらく、原始の時代(「はじめ人間ギャートルズ」に基づく想像です)に生まれていれば、健康な男性だったわけです。もちろん、現代社会で生活せざるを得ないわけですから、それに適応が難しい場合には「病気」であるということ概念は理解できます。

 しかし、そこの治療法にモダフィニルなどの薬剤を用いることは非生理的といわざるを得ません。神経内科の金科玉条にFix what is broken, don’t fix what is not broken.という言葉があります。この男性の場合、壊れていること(What is broken)は「睡眠が足りない」「徹夜しなければいけない」ということであって、睡眠不足や徹夜で眠気が出ているということ事態は極めて「正常」なわけです。逆に眠気がまったくでなかったら「どこかおかしいかも?」と考えざるを得ないわけです。

 モダフィニルが概日リズム睡眠障害(交代勤務睡眠障害によるもの)に適応が通った論文を読むとアウトカムは集中力や眠気の程度になっています。有意に作業能率が上がることも示されています。大変興味深い論文だと思います。

 でも、やはり言いたいことはこれは非生理的であるということです。誤解してほしくないのはモダフィニルはパーキンソン病や多発性硬化症の眠気や倦怠感にも効果があることがわかっていますが、その場合脳の変性による破壊があり、それによる眠気と考えられています。それを対症療法として、外部から薬剤で補ってやるという発想は理にかなっています。ですからモダフィニルそのものに反対しているわけではありません。
生理にかなった治療法というのは、交代勤務をやめることや、勤務調整をしてもらうこと、睡眠時間延長を図ることなのです。当たり前のことなのですが、このことを最初からあきらめて、なにか薬を処方するという発想に抵抗を感じなくなったら大変危険です。もちろん、理想どおりには行かないことの方が多いです。しかし、自分が非生理的な対症療法をしていると認識して少しでも根本的な治療を行おうとするのか、「論文で証明されている」と思って疑いもなく薬剤で治療するのかでは雲泥の差があります。「単純なことは簡単ではない」ということをよく思い知らされます。

 このことは不眠の治療のときも同じことを感じます。精神生理性不眠の治療法は、製薬会社がなんと言おうとも認知行動療法が第一選択です。が、このことはまたの機会に述べます。

 夜眠り、朝になったら起きるのが人間の睡眠生理です。睡眠医学に携わるようになって、人間というものは、現代の社会よりも原始の社会もしくは野生向けに作られているのだと感じます。文明のおかげで得たものは限りなく多いですが、「暗くなったら眠る」ということを犠牲にして成り立っているのです。睡眠医学について考えるとき原始の世界に思いをはせる機会が多く、そんなところにも奥の深さを感じます。

 NEUROLOGYに睡眠にまつわるエッセイが載っていましたが(Neurology 65: 335-336, 2005)、睡眠に関して同じような感慨をもつ医師は結構多いのだと思いました。

先日のグランドキャニオンへ旅行に行ったときの写真です。大自然の中で人間の小ささを実感させられました。無理な旅行計画がたたり、日が暮れても目的地のラスベガスに到着しません。
そのうちあたりは真っ暗になり、ああ「原始の夜はこんな暗さなんだ」と思い知らされました。

街灯すらない高速道路を走っていると、とうとうラスベガスの町の灯が暗闇に浮かびあがりました。「ああ、文明に帰ってきた。」と家族で喜びました。つかの間の「原始の夜」の恐怖体験でした。これは車の中から撮影したもので、ピンボケでわかりづらくてすみません。手前の真っ暗な道と光の海のようなラスベガスの町の対比がなんとか伝わればとおもいます。

ラスベガスについてみると夜中を回ったにもかかわらず、灯が煌々とともり、多くの人々が町に繰り出していました。「まだまだ、夜はこれから」という人だらけでした。光のありがたさをかみしめました。
原始の夜の暗さを実感し、「明るくなければ人間は夜に起きていられない」「明かりがあるからこそ交代勤務も可能」「だからこそ交代勤務睡眠障害」が存在するのだと一人で納得した旅行でした。

最後はおまけですが、米国睡眠医学会の機関誌であるSleep に掲載されているモダフィニル(商品名 Provigil)の広告の掲載ページです(Sleep 30: 530, 2007)。お持ちの方は是非ごらんになってください。shift work sleep disordersにおける眠気に処方できることが書いてありますが、広告の写真の中にはexcessive sleepinessのfogの中から先頭を切ってすっきりとした顔をして女医さんらしき人物が歩いてくるものもあり、「違和感」以上のものを感じます。