日本臨床睡眠医学会
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第11回 職業経験と睡眠医学

2012 年 12 月 3 日

           

テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
               神経内科神経生理部門 河合 真

 アメリカ社会は様々な人種、文化、宗教が混じり合っている社会でお互いが領分を守りつつ、共通の価値観を明文化して成立している社会といえる。が、この中にも絶対の「善」と思われる価値観がいくつか存在する。それが、子供に対する教育である。それは自分の子供に対するものではなくて、社会全体が子供を育てるというような意識といっていい。

 私も自分以外の子供の教育に加担をさせられることがある。それは、真剣な顔をした知り合い(医者だったり、秘書だったり、事務員だったりする)がもたらしてくる。「今度うちの高校生の息子・娘が病院ボランティアをするのだけどちょっとドクターカワイについてもいいかしら?」と頼まれることである。「うわっ、面倒くさ!」と思うが、何しろ相手は「絶対善」の価値観に基づき頼んでいるのでよほどの理由がなければ、当然答えは「イエス」以外あり得ない。何しろ断れば「悪」になってしまうからである。

 面倒くさいが、これはアメリカ社会のいい点だと思っている。親が「医者になりなさい!」と言わずに「医者の仕事を見てみたら?」(もちろん他の仕事も知り合いに頼んだりするのだろうが)というところである。「仕事は実際に見て気に入らなければできるはずがない」し、その機会を与えることが親の責任と思っている節がある。かくして学校が夏休みの6-8月になるとユニフォームのポロシャツをきた10代の少年少女たちが病院にあふれることになる。もちろん、守秘義務などのオリエンテーションなどが必要になるし、実際にやることは移動コーヒースタンドや図書館とか道案内とかなのだが、結構患者さんにふれ合う機会はある。強権的な父親である私は息子に「あれせい、これせい」と言ってしまうが、子供の人格をちゃんと認める姿勢が徹底していて感心する。アメリカの大学生、医学部生のなぜか成熟した態度は、医学部入学時にすでに具体的な医師のイメージができていることが影響しているのかもしれない。

 思えば、10代に将来の職業を実際に見て進路決定をするという機会は日本ではまずない。医師の仕事にしても、家族が医療従事者か患者であったというような偶然の場合を除いてそのような機会はないし、親がそういうことをしたということも聞かない。
私の場合は親が医師であったので、病院の話を聞くことは多かったし進路決定に大きく影響している。アメリカに行った動機も、学生時代の経験がもとになっているし、神経内科も睡眠医学も自分が経験したことをもとに進路を決めている。

 2006-2009年に研修医教育に携わったのも米国で多くの「教育上手な指導医」達と出会った経験が大きく影響している。そして日本で医局制度を、米国でマッチング制度を経験したことも私の意見形成に大きな影響を与えている。

 睡眠医学はこのマッチング制度のどの位置にあるべきものなのだろうかという質問に答える前にマッチング制度を知らねばならない。そもそもマッチングはそれまで既存であった大学医局人事制度を真っ向から否定する形で導入された。私も大学医局はシステムとして初期研修医教育を行うことは不可能だと思っていた。その理由も、自分が経験したことが元になっている。医師免許を取り立てでまともな研修を行う前に、アルバイトで病院当直を一人で行い大変怖い思いをしたことや、その間に診療した患者さんに私が未熟な故に標準的な治療を行えなかったなどである。厚生労働省が何を実際に狙ってこの制度を作ったか予測の域を出ないのだが、医師の初期キャリアの自由度が減っても患者さんのために卒後すぐの医師に初期研修をすることは患者の利益のために絶対に必要なことだと私は思うようになったのである。その思いは指導医として初期研修に携わった3年間も変わらず、初期研修の選択科目を増やしてほしいという研修医たちの要望を「初期研修は患者のためにするもの!」と言って拒絶し続けた。

 あともう一つマッチングが導入されることで期待していたことの一つに大学病院、大学医局の反省と再生である。導入以前から大学病院に不利な制度であることはわかっていたが、やはり導入後の凋落ぶりは目を覆うものがあった。その後、真剣に研修医教育の改革に乗り出す病院、まったく対策をとれないがうわべだけは取り繕う病院など様々な反応がみられた。結局のところ教育に真摯に取り組んだ病院は生き残り、そうでない病院は廃れた。マッチングとは導入されればそういう「研修医を教育する」競争になることがわかっていた大学病院がどれほどあっただろう?

 良くも悪くも慣れ親しんでいた既存の人事システムがお上によって一方的に破壊された大学の医局関係者にとってこれらの制度は憎むべき存在だろう。この制度によって最も大きな害を被ったのは専門性の高い科であり、神経内科もそのうちの一つである。なので、多くの神経内科の重鎮の方々と私の意見はおそらく違うが仕方がないと思ってほしい(「民主主義とは反対意見をいえる権利」だと映画“パルプフィクション”でも言っている)。

 このあと予想される変化は、後期研修の教育の質で初期研修先をえらぶ段階に入ってくる。私はずっと同じ病院に勤務し続けろとは言わない。4年程度で病院を変わる方が医師として成長すると思っている。が、初期研修だけをしてある程度病院の戦力になる研修医を後期になって外にすぐ出してしまうのは病院にとって効率が悪い。病院としては研修医を4年勤務させるつもりで初期、後期研修教育を充実させる必要がある。

 では、睡眠医学を医師がどこのキャリアで学ぶのがよいのだろう。私は睡眠医学とは神経内科、内科などの後期研修を修了した後に、より専門性の高い分野subspecialityとして学ぶべき分野だと思っている。2004年マッチング制度が導入され、そろそろ専門医資格をとり終えた卒後7-8年目あたりの医師をターゲットとして取り込む努力が必要である。もちろん、将来の選択としてもう少し若い医師たちに存在を知っていてもらう必要があるので実際の宣伝は初期、後期研修で行わないといけない。

 米国では、大きな病院や大学だと睡眠科があることが多く、実際に睡眠専門医が働く姿を目にすることも多い。選択ローテーションとして実際に経験してみることも可能である。そうやって経験してみると面白さもつらさもわかった上で進路を選択することができる。睡眠のクリニカルフェローというレジデンシーを修了して専門分野を1-3年程度かけて学ぶ指導医の前段階の医師がいる場合もある。(米国睡眠医学会はこのフェローという制度を作り上げるために血道をあげて専門医制度を整えていった。現在は移行措置が終わりフェローシップを修了しないと専門医試験が受けられないという状態になっている。)日本で若い医師に睡眠医学を志す医師が少ないと嘆くばかりではなく、その職業経験の機会が与えているかを考えないといけない。職業経験の機会を与えずに、専門医制度だけを作って門戸を狭めても何をしているのか全く意味不明である。

 日本の睡眠医学の状況を顧みると以上の問題に加えて様々な問題が山積している。職業経験の機会を与えてやる気をだしてもらったところで受け皿となるべき地位がないのが最大の問題である。具体的にはクリニカルフェローという立場がないことが致命的である。特に一般総合病院は、内科認定医をとったぐらいの年次の人が他の科に籍を置きつつ選択科目として研修する場合はいいのだが、専門的に学びたい場合には既存の科に所属しなければならないことが問題になる。睡眠センターは正式の科ではなく、神経内科などの科に付属したセンターとして存在することが多いので病院は元の科の業務をこなした上で研修をしろとなる。この元の科の業務が結構大変であることが多い。例えば神経内科なら脳卒中当直をやることになると睡眠医学の研修は時間的にも体力的にも不可能となる。片や非常勤にすると身分保障ができない。

 また、日本の大学病院では、総合的に睡眠医学を教えるような場所ができておらず、呼吸器科や精神科の中に睡眠医学の一部を入れてやっている場合が多い。各科で学位取得させるための研究テーマとしては成立するが、睡眠医学にターゲットしぼった教育、研修という意味で成立していない。

 こういうことを考えれば考えるほど憂鬱になってくるが、まずはできることからとりかかるしかない。その為には睡眠医学を「面白い分野である」ということを知ってもらわねばならない。その際、「睡眠医学をしろ!」ではなく「睡眠医学を経験してみたらどう?気に入ったら進路として考えてね」という態度で接するのが若い世代にはくどくなくていいのだと思うが皆さんの考えはどうだろう?

 カナダの高校のウェブサイトに掲載されていた高校生ボランティアの写真。こういうカートを引っ張って病院を練り歩くボランティアをよく見かける。彼らが何をみて何を感じるかは彼ら次第。でも、考えるチャンスは与えましたよ、ということ。