第4回 無知である罪 ~不眠を甘く見ず、恐れない~
2009 年 11 月 24 日
テキサス州ヒューストン メソジスト病院
神経内科神経生理部門 河合 真
私は今アメリカで勤務しているが、よくアメリカ人が私の名前が呼びにくいのでニックネームで呼んでいいか聞いてくる。ある時までは気にもとめず許可していたが、最近は丁重にお断りするようにしている。
私の名前は「まこと」なのでよくあるパターンは「Mack」とか「Mac」とかになる。一昔、鈴木誠というピッチャーがMLBで「マック鈴木」と名乗っていたことを思い出していただければいいだろう。私もあるときまでたった3音の「ま・こ・と」を省略したがる無精者に対して「仕方がない。マックで呼びたければ呼んでいいよ」と言っていた。ところがある日友人が(彼はまったく問題なく「まこと」と呼んでくれている。)ふざけて「まことのことをMackって呼ぼうか?いやあ、冗談冗談。Mackって柄じゃないよな。」と言ってきた。なんのことかよくわからない私は説明を求めたところ、馬鹿でかいトラックを作っている会社にMACKという会社があり、どうもMackという名前からは「ひげを蓄えた逞しい白人のトラックドライバー」というイメージがわいてくるらしい。あまりにも自分とかけ離れたイメージに「知らないということは恐ろしい。」と思い「言葉の持つイメージ」には気をつけねばならないと思い知った。
さて、みなさんは「不眠」とか「不眠症」という言葉にどのようなイメージを持っているだろうか?聞いたとたん「厄介そうだな」とか「うわあ、時間かかるよ~」とか「睡眠薬出すしかないやろ」ということを思われる医師が多いのではないだろうか。私も米国で睡眠医学を学ぶまではそのようなイメージで考えていた。しかし、指導医の睡眠専門医が鮮やかに不眠症を「睡眠薬を使わずに」治癒させたのを見てまったくもって目から鱗がおちた。(その患者さんは精神生理性不眠だった。)それから、不眠症をきちんと勉強したわけである。勉強すればするほど奥が深いというのが今の私の印象である。
睡眠薬で不眠が治療できるだろうか? 確かに効果があることに異論がある医師は少ないと思う。実際、自分で試してみても睡眠薬を服用すると眠たくなるし、 寝てしまう。抗ヒスタミン薬程度でも眠くなる。では、睡眠薬で不眠を「治癒」させた経験はあるだろうか?私にはない。治癒した患者さんはいたが、それは「勝手に治癒した」か、原因がはっきりした「もともと一時的なもの」であることがほとんどだ。
例えばよくある症例を紹介しよう。30歳代の女性、特に既往はない。仕事も順調にしているが、数年前離婚をしたことをきっかけに不眠に悩むようになった。離婚に関してはすでに「済んだこと」として割り切っているし、特に気分が落ち込んだりもしていない。ただ、どうしても寝つきが悪く、ベッドにごろごろしながらうつらうつら4時間程度浅い眠りが続き、早朝に目が覚めてしまう。最近では「夜になるのがいやだ」「また眠れなかったらどうしよう」「ベッドに横になるのがつらい」などと訴え、寝室にいるのが苦痛になってきている。今まで、睡眠薬を何種類か試したが、最初は効果があるものの、しばらくすると効果がなくなり、翌朝倦怠感が残るのでできれば睡眠薬には頼りたくないと述べる。
この例に対して「診断」しなさいというと、大抵の研修医達は「不眠症です。」と答えてくる。そこで「じゃあ不眠症の中でどの種類の不眠症か?」と聞くと得意そうに「入眠困難と早朝覚醒です。」と答えてくる。「なんじゃそれは?」とつっこむと不服そうな顔をしている。悲しいことに、製薬会社の説明会でそれと同じ説明を受けたとき情報の出所がわかった。ちなみにICSD-2にはそんな病名は載っていない。それは「症状の説明」である。
この場合、不眠症という診断名は間違いではないのだが、症状を説明している一時的な診断に過ぎない。「頭痛症」とか「腰痛症」に近い感覚である。これをさらに病歴を掘り下げて「精神生理性不眠症」、「精神疾患に起因する不眠症」、「環境要因に起因する不眠症」と診断をつけてはじめて治療方針が立つわけである。不眠の訴えは、「慨日リズム障害」だったり「睡眠時無呼吸症候群」の症状だったりすることもあるので「診断をつける」という作業は重要である。そして、この診断をつける作業がなされていないまま、睡眠薬が処方されていることが実に多い。
さて、前述の女性をあなたならどう治療するだろう? さらに最新の睡眠薬を処方するだろうか? いや、まずは診断をつけなくてはならない。少し勉強された方ならばすぐにわかるが、これは典型的な精神生理性不眠症の病歴であり、診断をつけることはそれほど難しくない。さて、精神生理性不眠症の第一選択の治療法は何であろうか? 睡眠薬? いやいや、これは製薬会社がなんと言おうとも認知行動療法である。時に「非薬物療法も選択肢のひとつ」というような扱いを受けることもあるが、違う。「第一選択」は「第一選択」なのである。効果の持続性、副作用のどれをとっても認知行動療法が睡眠薬に勝っていることは証明されている。では、なぜ認知行動療法がこれほどまでに知られていないのだろうか?それは「時間がかかる」うえに、料金が日本ではチャージできないからである。だから、説明会もないし、誰もやりたがらないわけである。
認知行動療法とはなんだ?と思う方もおられるだろうから少しだけ説明する。結局のところ脳に「眠気」を思い出させるように行動を指導することである。刺激制限療法、睡眠制限療法、逆説的努力というものから構成されている。大体20-40分程度はかかる。効果がでるには50分以上必要というデータもある。ただし、一回ですべてを説明してしまう必要はなく、少しずつ説明していっても効果がある。専門の心理療法士がやらなくても一般の医師がやっても効果があったとのデータがある。ただし、やはり実施経験のある医師に一度は指導を受けないとさすがに無理なので勉強会があれば是非参加してみてほしい。(当然その勉強会に協賛はつかない、、、。つけば拍手を贈りたい。)
私のクリニックは未だに十分過ぎる時間があるため、前述の患者さんには私自ら懇切丁寧に認知行動療法を説明し治療を行ったところ2ヶ月程度で「治癒」してしまい、また患者が減ってしまった。
「入院患者で不眠を訴えた場合は睡眠薬しかないでしょう?」という医師もおられると思う。確かに、夜中にコールされてナースから「何か睡眠薬処方してください。」といわれて「いや、認知行動療法を!」なんて言ったら次の飲み会からはお誘いがかからなくなること必至である。 そのときに重要なことは唯一つ。「どうして眠れないの?」と聞くことである。「枕がかわって眠れない」のか「腹が痛くて眠れない」のか「心不全で呼吸が苦しくて眠れない」のか「気分が落ち込んで自殺もしたくて、自分を責める考えばかりが浮かんで眠れない」のか「いびきのせいで目が覚める」のかで、対応が全く異なる。これらの不眠の訴えはすべて異なる診断になるので一度診断をつけてみてほしい。どれにだったら睡眠薬を処方してよいかは診断をつければ大体判明する。
1つ目は「環境要因に起因する不眠症」、2つ目と3つ目は「器質的疾患に起因する不眠症」、4つ目は「精神疾患に起因する不眠症」になる。5つ目は「睡眠時無呼吸症候群」で不眠を訴えたとしても不眠症ではない。
睡眠薬はFix what is broken!(原因を治療すること)が不可能な場合の「対症療法」として「一時的に」処方するのがよい。この場合、1つ目は入院という環境を変えることは退院させるしかないが、それは不可能であるので睡眠薬で対症療法とすることが許されると考えられる。2つ目、3つ目は原因をなんとかすることを考えないといけない。4つ目は、やはり鬱の治療をしないといけない。不眠だけ治療してもどうにもならない。抗不安作用のあるベンゾ系の睡眠薬を処方することが多いが、これはやはり専門の精神科医に早めにコンサルトし生兵法は避けたほうが身のためである。5つ目は、まあ解説の必要はないだろう。睡眠薬を処方すると症状はさらに悪化し危険である。
日米を問わず一般の医師の不眠症に対する認識は低い。なにしろ睡眠について、医学部できちんと教えていない(少なくとも私には記憶がない。)のだから仕方がない部分もあるが、その結果として製薬会社から与えられた知識と情報で診療が行われてしまう土壌になっている。
睡眠にかかわる医師として、不眠症に関する正しい情報を発信しようと努力しているが、なかなか難しい。このエッセイが「不眠症」を学ぶきっかけになり、認識を少しでも改めていただければ幸いである。
MACKと聞くとこんなトラックが思い浮かぶらしい。私を知っている人にはわかるだろうが、私はこういうイメージの人間ではない。私の大学入学当時の医学部長が「無知は罪である。」とおっしゃったが、なんとか一つずつ罪を減らしていかないといけないと思う今日この頃である。