日本臨床睡眠医学会
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第7回 ボランティアと寄付とconflict of interest (「利益相反」)

2010 年 12 月 28 日

           

テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
               神経内科神経生理部門 河合 真

 日米差と一言にいってもいろいろあるし、日本生まれ日本育ちの私がアメリカの社会の中で臨床をするのだからある程度の妥協はいたし方がない。しかし、「これはきっと一生完全に理解できないのだろうなあ」と思うことがいくつかある。その一つが米国人のお金に対する感覚である。
 最近は、結構米国に臨床研修で留学する医師も増えて、情報が日本に入るようになったので私が話すことは決して初めて聞くことではないかもしれない。が、医学生に一番人気の科が「眼科」「皮膚科」「放射線科」であり、その理由が「楽で、高給だから」とおおっぴらに言える社会はやはり日本の社会とは違うと言わざるを得ない。(眼科、皮膚科、放射線科のみなさん、お仕事御苦労さまです。他意はありませんのであしからず。)
 これにもまして、驚くのがボランティア精神である。donationと呼ばれる寄付もその一環としてついてくる。あれほどお金にうるさい米国人がボランティアと名がついた途端に敬虔なクリスチャンの心を取り戻すわけでもないのだろうが、無給で突然いろいろ仕事をしてくれる。現地の小学校に息子が通っており、日本のPTAに相当するPTO(parent teacher organization)というものがある。クラス委員に始まり、役員なんか「絶対勘弁してほしい」と思っている私と家内は、「どうか委員の役が回ってきませんように」といつも祈るような気持ちでいるが、まったく問題なくボランティアでやってくれる人が出てくれる。これは、ほぼすべてのクラスでそういうことらしい。日本だと、なかなかなり手がなくて最終的にくじ引きになることが多いが、まったくそういうことにはならない。(ちなみに日本語補習校では、クラス委員は最初からくじ引きで今年は見事私が引き当ててしまった。)

 そして、さらに驚くことが、寄付である。本当に様々な寄付を頼まれる。公立小学校が、寄付を堂々と募集する。別に歳末助け合いとかではなく、「私達の学校をよくしましょう」ということを目標にして寄付を募る。そのお金でコンピューターを購入したり、いい教師を引きとめたり、プレハブを建てたりしている。だから、公立小学校でもお金持ちの多い地域の小学校は施設がよかったりする。
 医療の世界でも寄付は多い。私の勤務するメソジスト病院も様々な病棟があるが、病棟毎にAlkekとかDunnとかという名前がついている。これはAlkekさん、Dunnさんというお金持ちが多額の寄付をしてくれたおかげでそのビルを建てることができ、記念にその人の名前を冠したからである。近くにあるMD Anderson Cancer Centerというほぼ世界一のがんセンターがあるが、その名前も寄付してくれたAndersonさんの名前を冠しているのである。
 聞いたところによると、アメリカ人たちはお金持ちになろうと懸命な努力をするが、最終的には、自分や家族に十分なお金を残したうえで、その他を社会に還元するというのが人生の成功者ということらしい。持てる者が寄付することは「善」とされている。日本の金持ちの方たちは、いったい今の医療崩壊をどう思っているのだろう?目に見えるような寄付をしているようには見えない。(もちろん陰で寄付している人もいるのだろうが。)

 さて、レジデント生活があまりにも長く貧乏性が身についてしまった私は、多少の寄付を小学校にするものの、時間がないことをいいことにボランティアからは逃げられるだけ逃げていた。ところが、ある日「米国てんかん財団」という組織から「夏の患者キャンプ」に医師として付添ボランティアをお願いできないかという話が回ってきた。「知りあいになれば患者が増えるから」と上司から説明されたので、せっかくの休みだが、上司が金曜の夜、私が土曜の夜を受け持つことで折り合いをつけた。

 米国においてはカブスカウト、ボーイスカウト、ガールスカウトのようにキャンプで共同生活をさせて、独立と協調の精神を養おうとすることが非常に盛んである。このてんかんキャンプに参加している患者さんの多くは、家族の援助でなんとか自立した生活が送れる程度の障害がある方たちで、共同生活を通じて独立した生活を送る訓練と自信をつけさせるということがキャンプの目標である。
 というわけで崇高な理想を掲げるキャンプを手伝うのは悪いことではないと私も考えた。が、まあキャンプとはいえども、さすがに医師をテントに泊まらせることはあるまいし、最低限個室はあるものだと思っていた。が、その私の甘い期待は完全に裏切られた。前の夜に付き添いを終えた上司から「枕と毛布を持って行け」と電話がかかってきた時から、いやな予感がし始めた。当日現地のキャンプ場に向かったところ、いやな予感が当り上記のようなキャビン(小屋)に参加者の患者さんもスタッフも入り混じって泊まるということが判明した。一応男女別々のキャビンになっていて、私は男子キャビンに泊まることになった。子供のとき以来の二段ベッドで、下の段は取られてしまっていたので上段が割り当てられた。キャンプなので、枕も毛布も備え付けではなかった。そして、男子キャビンは若い血気盛んな患者さんたちの下ネタのジョークや替え歌で彩られることになった。昔は大好きだった下ネタに乗っていけなかった私は、「ああ、自分も年とったなあ」と感慨にふけった。

 ただ、ここで2つの大きなことを学んだ。医師としてつきそったのだが、ほとんどの場合は、ちょっとしたけががほとんどだった。しかし、3人ほどてんかん発作を起こした患者さんがいた。発作後に「ああ、いつもの発作」と言い放つ患者さんをみて「病気とともに生きる」ということは外来や入院中に患者さんを見るだけではわからないのだと実感した。そして、その夜、派手ないびきと無呼吸を起こす患者さんが3人ほどいた。かなり長い無呼吸を繰り返していたので、気になって目がさえてしまった。「なるほど家族が無呼吸の患者さんを心配して連れてくるわけだ。」と変なことで納得した。神経内科疾患に合併する睡眠時無呼吸症候群を目の当たりにし、「この無呼吸を治療したらきっとてんかん発作の数も減るだろうなあ。」と考えた。「陽圧呼吸器でこれが治ることを最初に観察した医師達は感動しただろうなあ。」と思い、「これが中枢性だったらどうしたらいいのかなあ」とも考えた。そんなことを考えつつまんじりもできずに夜が明けた。おかげで睡眠剥奪の感覚まで体験させてもらえ「ああ、これば前頭葉の働いてない状態か。」などと考える余裕はなく、へとへとになりつつキャンプを終えた。
 技師さんがアテンドしてくれるPSGはありがたいとも思ったし、睡眠を観察するということはやはり面白いと感じた。また、アメリカのボランティアが楽じゃないことも身にしみてわかった。
 さて、これらのボランティアや寄付は善意をもとに行われているものであり、文化的な違いというだけで大きな問題はない。しかし、昨今医師として避けて通れなくなったお金の問題としてconflict of interest (COI)という問題がある。日本では「利益相反」と翻訳されており、学会などで耳にすることが多くなった。定義としては、「意志のあるなしに関係なく人が自己の必要と欲望によりこの人に頼るべき権利を有する他人への義務違反を侵すに至る恐れのある立場にあること。」ということである。ここで重要なことは「意思のあるなしに関係なく」という部分で、悪意なく自分の意見にバイアスがかかってしまうことが問題になる。早い話が、製薬会社や業者からお金をもらっている医師はその旨公表しなさいということである。その情報を見て消費者である患者が自己責任で判断してください、というおまけまでついてきている。
 「まあまあそうは言っても、建前でしょ?」というなかれ。最近、大手の製薬会社だけだが、その情報を公開するようになった。http://www.propublica.org/topic/dollars-for-doctors/というサイトで医師個人の名前と州を入力すると、その医師がどこの会社からどれほどのお金を得ているかが一目でわかるようになった。サイト内に以下のような入力する場所があり、日本の学会に特別講演などで招待される臨床研究者や医師名を入力してみるといろいろ出てくる。

 これには勉強会、研究会での講演の謝礼、研究グラントなど製薬会社から医師へのお金のすべてが含まれる。「ちょっとやりすぎじゃないか。」と思う方も多いだろうが、学会などでも製薬会社からの資金援助を受けている医師が歯切れの悪い答弁をすることはよく目撃されるし、公開した方がやはり良いのだと思う。製薬会社にしてみれば、公開することで、消費者に判断の責任を負ってもらえるということらしい。これもアメリカ流と言ってしまえばそうなのだが、多国籍企業が多い製薬業界でこの風潮が日本に波及するのも時間の問題ではないかと思う。睡眠医学の分野ももちろん例外ではない。在宅呼吸療法の機器業者との付き合い、製薬会社とのつきあいは避けては通れないが、いずれすべて公開されると思って付き合っていくのがよいだろう。

 今の時代、学会としてもこういう企業との付き合いは必要なのだが、単に資金が入るか入らないかで一喜一憂していてはいけない。そういう資金をバッファーとして受け止め、個人のバイアスが限りなく小さい議論の場を提供することが、「勉強会」や「研究会」とは異なる学会の存在意義なのだと思う。まあ、その際もCOIの公表はしなくてはならない。

 今後海外から招聘された講師の話を聞くときには、どれほどのCOIを抱えているかを、患者さんも知りうる情報なのだから、調べる必要があるかもしれない。なんとなく「うわっ、そんなにもらっているのか?」と嫉妬の気持ちがわくので、いい趣味とはいえないが。