第8回 「睡眠専門医」って何? ~オフィスと専門医と正論~
2011 年 5 月 28 日
テキサス州ヒューストン メソジスト病院
神経内科神経生理部門 河合 真
米国の医師のオフィスと日本の医師のオフィスの違いは何か?日本ではまず、個室を与えられることがまれで部長か副院長クラスにならないともらえないことが多い。米国ではアテンディング(トレーニングが修了し開業免許をとった医師で指導することができる)になればどんな下っ端でも個室があてがわれる。私(卒後14年目、平アテンディング、一応アシスタントプロフェッサーの肩書あり)レベルの人間にも当然個室があてがわれている。タコ部屋と異なり、話しかけてくる人がいないので非常に仕事がしやすい。現在のオフィスは狭い方なのだが、眺めがよくて気に入っている。2年前初めてこの部屋をあてがわれてリクライニングできる椅子に腰かけたとき「俺もとうとうここまで、、」という感慨に浸った。これは余談だが、日本語ができる人間が回りにいないことをいいことに、自分の目標とかモットーとかの(少々恥ずかしい)自己啓発系の文言を思いつくまま日本語で紙に書いてオフィスのあちこちに貼っていたところ、昨年施設見学にこられた立花直子先生に見つかってしまい「うわっ、こわいわあ」とのコメントをいただいた。
さて、米国のオフィスと日本のオフィスの違いは他にもある。留学先などで見られた方も多いかと思うが、米国では専門医資格の免状やら卒業証書やら賞状やら果ては医師免許に至るまで、ところせましと壁に掲げられていることが多い。とても整理が苦手なモージャー先生の部屋ではすべての免状が足元に転がっていて、彼が大好きなTWIXというとても甘いチョコレート菓子が机の上に乗っていたということがあったが、それは例外で、多くの場合きれいな額におさまって掲げられている。驚くことにコピーではなく、オリジナルであり、「盗まれたらどうするのだ?」と思うのだが「盗まれない」そうだ。それをとても信じられない私は、自分の家に飾っている。
アメリカを代表する「超弩級に甘いお菓子」の一つであるTWIX。頭脳労働者である医師の中には時々とんでもない甘いもの好きがいる。疲れたときに一口食べるとおいしいと思ってしまう私も甘いもの好きである。
私の上司でもあり、同僚でもあるDr. Amit Verma。彼の部屋には卒業証書から、専門医の免状まで飾ってある。典型的なアメリカの医師のオフィスである。
かたや、私の部屋は何も飾っていない。かなり非典型的なアメリカのオフィスである。2人ともモニターがやけに立派だが、これは脳波や、PSGをこの部屋で読むからである。一応脳波のガイドラインを厳密に守ると21インチ以上のモニターが必要になる。
さて、ここからが本題である。専門医資格を一体何のためにとるのか?学会は何のために専門医という資格をつくるのか?この当たり前のようで当たり前でないことを考える機会が私は最近多い。特に睡眠医学のように新興の分野が発展していくには取得する側も設定する側も「なぜ専門医制度をつくるのか?」を理解している必要がある。
私が最初に取得したのは米国神経内科専門医だった。この専門医はそれこそレジデンシーをした「みんながとるから」とる資格であったので、受験する理由を深く考えることはなかった。が、この試験は本当に大変だった。まず、受験資格が米国のレジデンシーを正式に修了した、もしくは翌年に修了見込みの者だけに限られる。これはレジデンシー開始時に専門医認定組織に名前を登録するところから始まり、修了までちゃんと追跡される。また、学会認定施設でのみトレーニングが認められている。学会認定施設といっても誰かえらい人が一筆したためた書類提出やら、ちょっとした視察で済むような生易しいものではない。ローテートするべき分野や習得する手技が事細かに指定されていることはもちろんだが、カンファを週何回以上行うこと、評価用紙を毎回ファイルしておくことなどまで指定される。昨今ではレジデントの労働時間まで細かく指定してきており、当直後は昼前までに速やかに帰宅せねばならない。そして、週80時間以上の勤務は禁止されるようになった。この数字は週に2回以上当直をすると軽々と越えてしまう数字である。(このレジデントの労働時間に関しては別の機会に語りたい。)そして数年に一回レジデントの聞き込みを含めた視察があるがこれがまた徹底している。認定組織の改善指示に従わない場合は認定施設の取り消しが冗談ではなく行われる。ある有名施設が見せしめに施設認定取り消し寸前になり全米のプログラムを震撼させたことは記憶に新しい。前に医師のconflict of interestの所でも述べたが、この国でシステムの変更が行われるとき「まあまあそうは言っても建前でしょ?」と思っているとひどい目にあう。
このような認定組織が超強気でいられるのには、哲学的な裏付けがかかせない。それは「トレイニー(レジデントやフェロー)の教育の質を管理することは患者の利益を守ることにつながる」という大義名分である。認定組織のお金ももとはといえば、納税者の税金や保険の掛け金から回りまわって出ているわけで、出資者の利益にならなければいけない。あたり前といえばそうなのだが、アメリカの社会では制度改革のとき、こういう正論を真っ向から振りかざして大ナタでぶったぎっていく。その際に、末端の人間までが判で押したように同じ正論をのたまう。多民族国家での正論というものは、改善していく時の唯一のよりどころなのである。
さて、米国神経内科専門医を私が受験したときは、筆記と面接の二つに分かれていて各々相当な労力を必要とした。そして受験料も半端ではなく、約1500ドルずつ合計3000ドル近くかかった。その後、私は神経生理フェローシップをしたので神経生理専門医を受験する資格が発生した。そしてその後、睡眠に興味をもち睡眠診療もしていたので、睡眠専門医制度開始時の特別措置により受験資格が発生した。これらはどれもこれも受験料が1500ドルかかるので、「とったら何かいいことがあるの?」と家内に聞かれて答えに窮した。これらの資格は決して「みんながとる」資格ではなく、自分の専門知識を証明する色合いが強い。医局を飛び出して、好き放題している私としては自分の専門知識を証明する資格はすべてとっておかないと就職に困るという強迫観念が常にあるので「とらない」という選択肢はなかったので取ることにした。
というわけで私もあまりよく考えずに米国睡眠専門医をとったわけであるが、そのあとの米国睡眠医学会はしたたかな行動に出てきた。まず、専門医制度開始にともなう特別措置を2011年で最終とし正式な睡眠医学フェローシップを修了しない受験を認めなくなった。これには、いろんな職種の人間がかかわるMultidiciplinaryな面を持つ睡眠医学にとって発展を妨げるものだという根強い反対意見があったが、あっさりと却下された。この背景に見えることは、米国睡眠医学会がトレーニングを管理することで専門医の質を管理するという意図が見える。フェローシップというトレーニング制度を整え、受け皿を作ってから移行したので大義名分が立ちやすい。こういう合理的な手法は見習う必要があるだろう。そしてそのあとに、さらに驚くべき策略に出てきた。「専門医をなぜとるのか?」という基本的な問い答えをつきつけてきたのである。それはメディカルディレクターという制度を利用した巧妙な方法だった。
メディカルディレクターとは何か?語感はなんとなく偉そうな感じがするが、それ以上のことはこの言葉からは伝わってこない。もちろん睡眠医学以外にも存在するのだが、大体の意味は「施設長」ということになる。ICUにもいるし、検査ラボにもメディカルディレクターが存在する。日本の病院にも検査室にはどこかの部長の医師が兼任で責任者となっているが、あれである。
睡眠検査施設におけるメディカルディレクターの役割は重大である。かつアメリカに特徴的なことだが、責任あるところコストが発生する。メディカルディレクター料というものが存在し、いざというとき詰め腹を切らされる代わりに月々のお手当てが(給料の他に)もらえることになっている。なんとも、フェアというか資本主義な考え方である。このメディカルディレクターになるために睡眠専門医資格が必要であるという制度を作ったのである。それもメディケアという公的保険機関を動かし、睡眠専門医がメディカルディレクターになっている検査施設にだけ検査料を支払うようにした。ほかの私的保険も追随するので無視するわけにはいかず、今や睡眠専門医試験の駆け込み受験が増えている。資本主義社会の仕組みを変えるにはお金の流れを変えないとうまくいかないということを如実に表しており、興味深い。
このメディカルディレクターの業務は一言でいうとQAである。QA=Quality assuranceという言葉は民間企業ではうるさいほど聞かれる言葉であるが、最近医療界にも入ってきて鬱陶しい思いをされた医師も多いかと思う。特に睡眠検査施設のような検査部門では避けて通るわけにはいかない。で、睡眠検査施設のQAとは具体的になにかというと、スコアリングの質の管理である。すべてのスコアリングをやり直すわけにはいかないので、一か月に一回ランダムに抽出したPSGを技師と医師が別々にスコアリングして比較検討するわけである。これをinterscorer reliabilityという。時間もかかるうえに、お互いの力量が明らかになるためかなり精神的な負担になる。が、実際にやってみると技師とのコミュニケーションになる上にお互いが緊張感をもって仕事をする雰囲気が出来る。人間の心とは弱いもので、同じことを繰り返していると「慣れ」るが「馴れ」も生じてくる。それを未然に防ぐのがQAである。そして当然、メディカルディレクターになるには睡眠検査のスコアリングができなければならない(そして私はこれになりたくて仕方がない)。米国睡眠医学会はかようにして睡眠専門医制度を使って、睡眠医学の質を教育と診療報酬の二面からコントロールしようとしている。それが「患者の利益を守るために必要」だからである。正論と根回しがうまく融合した制度を作り上げていると思う。
一方、日本では正論を煙たがる傾向があり、根回しでなんとなく既成事実を積み上げていくような手法をとる場合が多い。国が変われば手法が変わるのは致し方がないが、寝技ばかりに執心して正論を忘れてしまうと、組織全体が変な方向に進んでしまう。リーダーシップをとる人は、煙たがられようと正論を常にのべることができなければならない。以前トヨタの人事の人にちらっと「リーダーに必要な資質ってなんですか?」という質問をぶつけたことがあったが、返ってきた答えは「旗を振り続けられる人」ということだった。私はその時別の答えを持っていたので釈然としなかったが、学会などに関わるとその意味がよくわかる。「旗」を「正論」と置き換えればわかりやすい。
専門医制度において、その背景となる哲学が共通理解の上に成り立っているかどうかはその専門分野が発展するかどうかと直結している。たかが専門医制度というなかれ。専門医制度からはその学会の哲学が見えてくる。臨床医学の学会の第一義とは「患者の利益を守る」ことである。さもないと、社会から存在を許されない。そしてそのための第二義として教育、臨床、研究の発展が必要なのである。教育、臨床、研究は「患者の利益を守る」ために必要なのだという正論を常にもっていなければならない。いろんな人がいろんなモチベーションで睡眠医学にかかわればいいと思う。しかし、確固たる哲学のない分野の発展はありえない。新興の分野に関わる人間として心したいものである。