第1回 とうとう始めてしまった。息子よ、好きな道を歩みなさい。
2013 年 11 月 21 日
2013年11月21日
スタンフォード大学 睡眠医学センター
河合 真
ヒューストン便りの愛読に感謝し、引き続きのスタンフォード便りの愛読をお願いします。
さて、ヒューストン便りの最後に書いたように、ヒューストンで得た地位と収入をなげうってスタンフォード睡眠センターで睡眠医学フェローシップを始めて4ヶ月が経過した。新しいことを始める不安よりも、停滞することへの恐怖が強かったので「本当に始めてよかった」と思っている。スタンフォード睡眠センターでフェローシップをすることは睡眠医学に関わり始めてから漠然と抱いていた夢で、実現してよかったと思っている。
それから息子にとってもよかったと思っている。なぜなら、ご多分に漏れず私は自分が自分の人生で出来なかったことを息子が実現してくれるのではないか?」と期待してしまう愚かな父親の一人で、たとえば「俺は無理だったが、小さいころから始めた息子ならプロのテニスプレーヤーなれるのでは?」などという息子にしてみたら迷惑千万な期待をしてしまう。期待はテニスにとどまらず、「医者になってくれないかな」ならまだしも、スタンフォードにくる前までは「医者になったらスタンフォードで睡眠医学をやってくれるのでは?」という生々しく具体的な期待があった訳である。妄想のなかで「息子よ、私の無念をはらしてくれ。スタンフォードで睡眠医学を修めるのだ。」と言い残して絶命するところまで想像していた。家内に「あの子はあんたのロボットではないのよ」と いわれまでもなく、息子にとって迷惑千万なことは百も承知なのだが、私の「息子を鍛えたい」という欲望は非常に強い。ここを自制しないと将来の息子と父親関係が悲惨なことになるとも思うのだが、普段の自分からは想像できないほどムキになる。そんな状況で私の人生の夢の一つがかなったことは、 息子のためにもよかったのである。私の“いまわ”のときの言葉は「お父さんは好きなことやった。お前も好きな道を歩みなさい」の予定である。
さて、スタンフォードでの睡眠医学フェローシップについて少し語ろう。期間は1年で、一学年8人のフェローがいる。何と5人が神経内科出身である。その他は1人が精神科、1人が呼吸器内科、1人が耳鼻咽喉科出身である。睡眠が脳の現象であることは、以前から強調していたもののこれだけ神経内科医が睡眠に集中したら競争が激しくなって仕方ない。数年前は呼吸器内科医だらけだったのに、米国では保険制度が変更されOSASが儲からなくなったとたんにこの変化である。(「単純OSAS[検査前確率がとても高い患者さんと思ってもらえればいい]」は特別な理由がない限り簡易検査とAuto titrating CPAPで治療するという保険会社が勝手に決めた指針の影響である。ヒューストン便り第12回参照)
アメリカの変化は日本人の私にとって時々急激すぎるが、私がどうこう言っても何もかわらない。おかげでおそらく「脳の現象としての睡眠」に興味がある神経内科医が自然と集まってしまったとわけである。「レム睡眠行動異常症」とか「夜間てんかん発作」などと聞くと「おっ」とテンションをあげて振り返るようなフェローが私以外に4人もいると自分を売り込むのが大変である。こういう状況なので日本ではともかく、「神経内科医が睡眠医学をすべきだ」なんてことを アメリカではもう言うまいと思っている。
業務は外来中心で、入院患者は診ない。睡眠検査は18ベッドあり、4ベッドが研究専用である。1週間に6日稼働している。私のような睡眠医学フェローの仕事は外来で患者を指導医の指導の下、診療を行うこと、睡眠検査を読むこと、睡眠検査の当直業務をすることである。睡眠検査の当直業務といっても毎日泊まり込むわけではない。当直業務にあたるときは、まず午後7時か8時くらいに睡眠ラボで回診し、急性疾患で睡眠検査が出来ない人がいないかなどを見て回る。これは、診療請求ができるわけではないのでスタンフォード睡眠センターの独自のシステムである。この際、外部の医師によって睡眠検査がオーダーされている時は、よくオーダーが不十分なことがあるのでそれを直したりする。食道内圧モニターをするのか、経皮CO2測定をするのか、四肢の筋電図をつけるのか、フルモンタージュの脳波電極をつけるのかという判断がそれにあたる。また、指示されている人工呼吸器の種類が適切であるかも判断しなければならないこともある。
ただほとんどの場合は、自己紹介して、服薬を聞いて、多少の病歴を聴取したらおしまいである。もちろん時には質問しまくる患者さんもいるが、かなり例外である。そして、家に帰って寝るわけで、アテンドにつきあうわけではない。ときどき、胸痛を訴えるような患者さんがいて夜中に電話がかかってくるが、そのときは睡眠技士と話して危険なら救急に搬送することになる。
日中は月曜日から木曜日まで外来をする。そして4日間の外来の後にとっても楽しい金曜日がやってくる。この金曜日は一日中講義である。何しろ臨床のファカルティだけでも呼吸器科、神経内科、小児呼吸器、小児神経内科、臨床心理、耳鼻科、歯科、口腔外科、矯正歯科等のバックグラウンドを持つ人たちがいるわけでトピックも多岐に渡りレベルも国際学会に出席して初めて聞けるようなものばかりとなれば私が興奮するのもわかって頂けると思う。そして、グランドラウンドには世界中から招聘された第一線の睡眠の研究者達が「わーい、スタンフォードに招聘された!俺って(私って)すごいかも」とばかりにやってきて発表してくれる。金曜日がくるたびに「ああ、これこれ、こういうのが聞きたかったからスタンフォードに来たんだよねえ。」とほくほくしている。そして、先日とうとうご本尊を拝むことができた。Dr.William C.Dementその人のレクチャーとサイン会があった訳である。ご存知の方も多いと思うが、彼は世界に先駆けて睡眠センターをスタンフォードに作った人である。その人が「本に書いていない睡眠医学の(裏)歴史」というレクチャーをしてくれた。米国睡眠医学会でやれば、大きな会場が満員になるようなレクチャーをたったの14−5人に向かってやってくれのだからたまらない。
というわけで、すったもんだの挙句スタンフォードにやってきた私だが大変幸せにフェローシップをやっている。もちろん、楽しいことばかりではないし、いろいろ気をつかうことも多い。時々なぜこれほど自分の充実感を感じているのか不思議に思っていたが、先日答えの一つが見つかった。それは、外来で私が30歳の男性を診察したときのことである。circadian rhythm disorderの睡眠相前進型(超早寝早起きタイプ、この人は午後6時に眠って朝2時か3時に起きている)に当てはまり、 家族歴が明らかにあったのでちょっと興奮して指導医にプレゼンした。すると指導医から「おお、家族歴のあるASPS(advanced sleep phase syndrome)か。珍しいな。遺伝子のリサーチに参加してもらおう」という反応がかえって来た。
自分が「興味深い!」と思ったことを、他の誰かと共有できることは実はとても稀で、だからこそ貴重なのだとしみじみと思った瞬間であった。
次回はスタンフォードの劇薬“CG”の取り扱いについて書きます。ではまた。
サイン会と化したレクチャー後の一コマ。自分がスタンフォードに来たいと思うきっかけになった本の著者が目の前にいる...となればやることは一つしかない。
まあ、こうなります。スタンフォードに来たのはミーハーだからなのかもしれない。