日本臨床睡眠医学会
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第10回 テレビの睡眠特集を見て思う事。考えて欲しい事。

2018 年 1 月 9 日

           


スタンフォード大学 睡眠医学センター
                河合 真

「くそっ、しょーもない。他にやることあるやろっ!」 と思ってしまう。何の話かというとテレビ番組の睡眠特集のことだ。
今回は普段は穏やかな私がなぜそんな毒を吐くのかを順を追って説明する 。

時折テレビで、睡眠が題材として取り上げられる。
硬めのものからバラエティまで論調は様々だが、ほとんどの番組は「こういう事をすれば快眠できますよ」「睡眠のこういうところに気をつけて健康になりましょう」ということを啓蒙(?)している。
このような番組に「睡眠医学」というタイトルがついていることも多いが、睡眠医学には「他人の睡眠を(なんとか)良くしよう」という他者を治療する要素が含まれねばならない。
したがって私はこれらの番組のカテゴリーを「睡眠医学」ではなく「スリープヘルス」と呼ばせていただく。
他者を治療するという要素がなく、視聴者が「自分で自分の睡眠を良くする」ことを主眼にして作られているからである。本稿でもその意味で「スリープヘルス」という語を使うのでご了承願いたい。

さて人間は皆眠るわけだし、睡眠に多少なりとも問題を抱えている人は多いのでスリープヘルスの話題は 注目を集めやすい。
しかし残念なことにその注目が長続きすることはまれで、流行が去れば潮が引くように全く話されなくなる。
ちょっとしたブームにはなるが、持続的な改善を促すような認知の変換は起きない。皆さんも睡眠に関してはそういう現象を何回も見て来ていると思う。
なぜ、これだけ睡眠を題材とした番組や本があるのにブームに終わってしまうのだろう。
一つには、既に述べたように、スリープヘルスは基本的に自分の睡眠に対して行うものであって他者の睡眠へ介入するものではないので、二次的な広がりがないという性質がある。

二つ目は「スリープヘルスはあまり効果がない」という厳然たる事実である。
個人の中で、こうしてみたらうまくいったからさらに改善させよう、というポジティブフィードバックがかからず、行動を繰り返す動機がわかない。
いかに「自分の睡眠に対して行うもの」であるとはいえ、他の健康法の場合、自分にめちゃくちゃ効いたら他人にも勧める人も出てくるだろうが、スリープヘルスではそんなことは起こらない。
いやいや、実験データでは効果が出ている。そして、スリープヘルス自体には最新の睡眠研究の知見が含まれている。
専門家である私が見ても、「へえ、(睡眠に)光はこういう風に影響しているのだな」とか「体温や食事も影響あるのだなあ」などと結構面白いし勉強になったりもする。
ではなぜ効果がないのか?それは「他の大きな要因が放置されている」からに他ならない。他の大きな要因とは、日本においては、絶対に睡眠不足である。
(未治療のOSASなどの睡眠関連疾患もあり得るが、頻度から考えてこのエッセイでは割愛する)。

はっきり言おう。睡眠不足を放置してスリープヘルスをいくら突き詰めようと、効果なんて実感できるはずがない。
睡眠不足がそんなに多いの?と思うかもしれないので下に図を載せておく。図1がNational Sleep Foundationという米国の組織が推奨する睡眠時間だ(このコラムでは以前にも引用している)。
研究によって多少の差はあるものの、成人は睡眠時間が7時間を切ればまず睡眠不足だと考えていい。そして図2が厚生労働省による20歳以上の成人の睡眠時間の統計である。
実に73.6%もの日本人の睡眠時間が7時間以下であり、39.5%の人たちは6時間以下の睡眠時間である。図3は文部科学省のデータで、主観的な睡眠時間の充足度を測ったもの。
小学生の14.9%、中学生の24.8%、高校生の 31.5%が睡眠不足だと訴えている。
まあ、日本人を捕まえてきたら相当な確率で睡眠不足があるわけだ。
このような状況でスリープヘルスをいくら叫んでみても効果なんて期待できるはずはない。

もっとも、さらに厳密な議論をするなら、睡眠不足の頻度だけでなく、影響力を評価しなければならない。
頻度が多くても影響力が小さければ議論する意味がないからだ。しかし、ここでは、「 睡眠不足はめちゃくちゃ影響力が大きい」とだけ言っておく。
ご自分の徹夜明けの状態を想像してもらえれば同意していただけると思うが、特に認知機能と感情に及ぼす影響は 大きい。
この影響の大きさを示す指標として統計学では「効果量」というものを使うのだが、細かいのでこの解説は次回に行うことにする。

さて、スリープヘルスにおいて語られる光、体温、食事などの影響を調べるような研究では、睡眠不足のように大きな影響を与える因子はあらかじめ「グループ間で平等に合わせて」実験を行う。
影響が大きい睡眠不足を放置してスリープヘルスの効果が上がるわけがない。改善すべきことの優先度がおかしいのだ。

しかしながら、睡眠不足に対する問題意識のレベルは悲惨の一語である。
そもそも「睡眠不足なんてどうしようもない。」という諦観が誰の中にもあるし、(睡眠不足を放置した)スリープヘルスの試み に効果がなくても「まあ、こんなもんでしょうね。仕方ない。」となって睡眠への興味は一過性のブームで終わる。
さらに医療従事者も「医療従事者が睡眠不足を解消しようと思っても患者個人の仕事や生活に関係することだから限界があるし、仕方ない」となる。
日本は睡眠不足に関して「仕方ない」だらけだ。

いや、全然仕方なくない。どれだけ現実から目を背け続けるのだろうか?
睡眠不足で感情が悲観的になることは厳然たる事実だ。睡眠不足で亡くなった電通社員のニュースからまだ数ヶ月しか経っていない。
若い研修医が過労・睡眠不足で死んだ例もある。
長時間勤務のドライバーが居眠り運転で事故を起こし多くの人が亡くなった。
労働者の睡眠をきちんと確保する環境があれば、これらの命を失うことはなかったはずだ。
だからこそ「働き方改革」をしようとしているのではないか? 改革を進める意義や利益について知識を共有できているか?改革を進める障壁は何か?巷で言われるほど人手不足なのか? テクノロジーで効率化できないのか? 残業代が減って収入が減るなら給与体系そのものを変えねばならないのではないか?改革が進まないのは経営者、上層部に睡眠不足の知識がないからなのか?一つの会社だけ就業時間を短くしても企業間の取引の問題だから業界全体が変わらないと解決しないのではないか?医療従事者が介入すべき点はどこか?

なんてことをもっと語らねばならない。
そう、睡眠不足で死んでいる労働者がいて、多くの人を死なせる事故が起きている時に、快眠やらスリープヘルスやらを説いている場合か!と思うのである。
では、なぜ睡眠専門医は治療しようとしないのか?それは、睡眠不足の治療は睡眠専門医にとって病院では非常に難しいからだ。
「(医者)睡眠時間を伸ばしてください」「(患者)わかっていますけど、仕事なのです」虚しい会話が繰り返され、結局「仕方ない」に落ち着いてしまっている。
当たり前の話だ。睡眠不足を克服するには、職場、業界、さらには日本の社会を治療しなければいけないのだ。そして、この治療には少なくとも2段階のステップが必要だ。
まず、多くの人たちに発信し認知を変容させることが必須である。「メディアで睡眠不足が深刻な問題だと言っていたし、なんとかしないといけないな。
自分だけでも十分眠ろう」という段階である。これはまだ前述した「自分で自分の睡眠を治療する=スリープヘルス」の状態である。
そこから次の段階に進んで「誰か」が「どこかの会議」で「睡眠不足は良くないから働き方改革をしよう」となって、それを聞いた人たちも「あ、どこかで聞いたな。賛成しよう」となる。
これらの人が家庭に戻って主婦が最後の風呂掃除をするために遅く起きていなくてもいいと「家族会議」で決まるかもしれない。「働き方改革」とは睡眠不足の治療をする行為であり、この段階になれば実は「他者の睡眠に介入する=睡眠医学」と言える。
すなわち、睡眠不足には医療従事者以外の一般の人たちが一般の人たちを治療する「睡眠医学」の段階に進むことが必要で、はっきり言ってそれしか睡眠不足の治療法はない。
治療を全く専門としていない一般の人たちが他者を治療しなければいけないから難しいのだ。


以上のような理由で、スリープヘルス番組をみると「くそっ、しょーもない。他にやることあるやろっ!」と思ってしまうのだ。
メディアは巨大な発信力を持っているのだからそれを国民の健康のために発揮して欲しいと切に願う。
2017年にNHKスペシャルで取り上げられた「睡眠負債」は一時期ブームになって流行語にまでノミネートされた。
しかし、後続の番組は結局スリープヘルスに終始してしまった。非常に残念である。

スリープヘルスで語られる細かいことも学問としては大事だ。細部に神が宿ることも真理だろう。
しかし、多数、かつ生死に関わること、経済的損失の多寡で優先順位を考えれば睡眠不足は圧倒的に改革の優先順位が上のはずだ。
こうなったら既存のメディアには頼れない。自分達で情報発信するしかない。
そして一般の人たちが一般の人たちを治療する「睡眠医学」に必要な正しい知識を広めるしかない。
2018年こそは「大人の満ち足りた眠りをすすめる会」を作るぞ、と思った2017年の年の瀬である。

【図1】
https://sleepfoundation.org/how-sleep-works/how-much-sleep-do-we-really-need






【図2】:厚生労働省 平成27年国民健康・栄養調査結果の概要 より
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000142359.html






【図3】:平成26年 睡眠を中心とした生活習慣と子供の自立等との関係性に関する調査の結果(概要) 文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/katei/__icsFiles/afieldfile/2015/04/30/1357460_01_1_1.pdf






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