日本臨床睡眠医学会
~日本に境界なき睡眠医学を創る集い~

サイト内検索▶

第16回 睡眠医学教育について

2023 年 1 月 18 日

           


スタンフォード大学 睡眠医学センター
                河合 真


またもや前回書いてからずいぶん時間が経ち、年が明けてしまった。2023年が皆様にとって実り多い年になるよう祈っている。


さて、今回は睡眠医学教育について述べたいと思う。 本来、日本臨床睡眠医学会としては睡眠医学教育をミッションの大きな柱の1つとして掲げているわけだから、このエッセイでももう少し触れる頻度が多くても良いのではないかと思っている諸氏もいるのではないだろうか。 実は、睡眠医学を通じていろんな医療従事者に接していると、「一体どうすればいいのか?」と途方に暮れることも多く、睡眠医学教育の悩みは深い。


もちろん、睡眠医学を志したモチベーションの高い人たちを教育する事は必要なことであると思っているし、教えることを通じて教えられることも多いので 十分に見返りを得られる。まさに互師互弟の精神だ。


さらに、昨年後半から日本に帰国し講演することが多かったが、少し睡眠医学を専門としていなくても学ぶ必要性を感じている人たちに教える事はやりがいを大いに感じた。こちらも新たな発見があった。多くの人達が私の著作を既に買って読んでくれていたので、「所謂プライミング済」な脳の状態で私の話が入って行きやすかった。 そう、この層までで 睡眠医学教育を留めておけば何も悩む必要は無い。
ところが、睡眠医学の性質上そうは言っていられない。何しろ睡眠医学は一見専門性が高い分野だと思われるが、実は全くそうではない。多くの医学分野にその分野の医療従事者が好むと好まざるにかかわらず深く関わっている。 その分野の疾患で苦しむ患者達のためにも機会があれば教育する。 その作業がなかなか大変なのである。


さて、前段が長くなってしまったが、今回は2022年末の出来事を通じて私が考えたことを述べたい。 まず、私の同僚から1本のメールが12月の中旬を超えた頃に送られてきた。「内科レジデント向けに睡眠医学の講義をしてくれないか?でも、2日後だから無理ならいいよ」という内容だった。アメリカでも12月は大変忙しい時期だ。もちろん、「忙しい」理由は日本とは多少異なる。日本の場合は12月29日の仕事納めに向けて国全体が「立つ鳥跡を濁さず」「新年を気持ちよく迎えたい」という意識で段々と忙しくなっていくと思う。アメリカの場合は11月の後半に学長から「12月21日以降、事務は全て閉まります。やるべき事務処理は早めにしてください。さもないとその事務作業は年明けになります。良いホリデーシーズン、そしてバケーションを!」なんてメールがやってくるとみんなが12月初旬からソワソワし始める。あいさつが「ホリデーショッピングした?」「まだだよ、やばいよ。今日急いで買いに行く。」という状態になる。「仕事なんてやりたくないオーラ」が出まくる。
そんな時に講義の依頼を2日前に申し込むなんてアメリカの常識から考えれば絶対断られる。しかし、私は講演の依頼は(極力)断らないポリシーがあるので「いいよ」なんてメールを返した。「まさか!こんなタイミングの依頼を受けてくれるような人がこの国にいるなんて!」という喜びのメールが内科のチーフレジデントから送られてきた。実は以前、私も神経内科のチーフレジデントをやっていた時にレクチャー調整で苦労をした。その苦労がわかっているから断らないことにしている。そして、そのポリシーに従って講義をしたのだが、なかなか大変だった。講義なので時間が経過すれば終わるのだから大変も何も労力は一緒だろうと思うかもしれないが、そうではない。「話が通じない」と大変なのだ。


スタンフォード大学病院の内科レジデントなんて言えばアメリカのトップレベルの頭のいい連中が集まっているし、スタンフォード大学は睡眠医学発祥の地なのだから多少専門外でもある程度の体系的な知識はあるかと期待していたが全く期待は外れた。「こちらがちょっとぐらい知っていてもいいじゃないか?」と思うようなことすら赤ん坊のような純粋な目で「わかりません、知りません」と言ってくる。かくして、45分の講義時間は基本中の基本のことを講義して終わった。実はこの講義を受けた理由は「何とか内科から睡眠医学のフェローシップをする人材を捕まえたい」という意図もあり、 講義は「睡眠医学がどんなに面白いか?」を中心にしたので大変受けが良かった(と思う)。そして、対人講義の利点を活かして、私は近くに座っているレジデントの名前を聞いてレクチャーの間中、細かく質問をした。質問をすると相手の知識レベルが結構よくわかるし、そのレベルに興味があったからだ。というわけでそれらを通じて感じた知識レベルは「睡眠診療で使える知識は(気持ちよく)ゼロ」だった。ゼロと言っても、実は一般の人達が知っているような断片的な知識は持っている。しかし、それらの知識では睡眠診療に使えない。ある程度基本的な考え方を知った上での知識不足ではなく、「基本的な考え方がない」状態なのでキツイのだ。


ちなみに「知識はあっても診療には使えない」ということは、医学を学んでいるとよく遭遇する。いろんな媒体を通じて一般の人達が雑学として得る知識が診療としては使えない、という体験はされたことがあるだろう。診療に使うには「体系立った」知識が必要だ。それを医学部なりで学ぶのである。その「体系立つ」という言葉は「脳に知識が整理される棚がある状態」とも言い換えられる。みなさんも大学の授業で「こんな授業で勉強しても実際に医療従事者として働いたら役に立つのかな?」と思っていたかもしれないが、(私もそう思っていた一人だ)少なくとも脳に「棚」が作られていたわけである。その上での知識不足やら経験不足なのだから足していけばいいのだ。しかし、睡眠医学に関しては、一般の医療従事者の頭の中に知識を積み上げていく「棚ができていない」のだ。 もちろん睡眠医学という学問はあって、棚に相当する体系的な考え方、その棚に入れるべき本に相当する知識もあり、言うなれば図書館や本屋もある。しかし、医師も医学生もその本を入れる棚をこれまでの勉強する中でつくっていく機会がなかったと言える。


私は日本語では「極論で語る睡眠医学」(丸善出版)を皮切りに「睡眠がみえる」(金芳堂)、「24時間医学で考える脳神経内科」(中外医学)、「睡眠専門医がまじめに考える睡眠薬の本」(丸善出版)と何とか「棚を作る本」として出版してきたおかげで講演をしても私の本の読者に出会うことがあって、そういう読者になってくれた人たち には確かに「棚」はできているなあと思う瞬間がある。そんな時はとても報われた気分になる。
ところが、私は英語では「棚を作る」本を書いていないこともあり、内科のレジデント達は純真無垢な瞳で「生まれて初めて聞いた」みたいに私を見つめてくれる。





J.A.Mindell et al. / Sleep Medicine 12 (2011) 928–931

それもそのはずで上の表を見てわかるように、睡眠医学発祥の地を含むアメリカでさえ、2011年の時点で医学部の4年間で3時間程度の授業時間しか確保されていない。3回授業があってそれで終わりなのだから「棚」ができないのも仕方ない。ちなみに上記の表によると日本では2時間弱だ。10年前のデータなので現在ではもう少し増えていて欲しいと思うが、全体の時間が限られている以上、睡眠医学を増やせばどこかの枠を削ることになる。それほど熱心に睡眠医学の教育を増やせという勢力が多いとも思えないし、さらに「一体誰が教えるのか?」という問題もある。


昨年末のドタバタした講義の後に「睡眠医学教育は、一体どこから手をつけたらいいのか」と暗澹たる思いに駆られつつもデメント先生のことを考えた。生前デメント先生も睡眠医学教育の重要性を強調しつつも、カレッジの授業を一学期やるだけでも相当苦労されていた。そして、本当に動けなくなるまで続けておられた(その授業はまだ続いている)。時々スタンフォード大学の卒業生でデメント先生の授業を受けたことがあるという人に会うのだが、「ああ、8時間寝ないといけないのでしょ」「睡眠検査受けたけどレム睡眠が面白かった。」「Drowsiness Is Red Alert(眠気がきたら止まれ!)でしょ」とか聞くと「ああ、教育って素晴らしいな」と少し勇気が湧いてくる。


というわけで今年も多くの医療従事者の脳に棚を作る作業を地道にやっていこうと思う。医学部のカリキュラムや学会の教育プログラム担当の人達がこのコラムを読んでいたら、睡眠医学教育なら時間の許す限り行くので気軽に問い合わせてほしい。




©2013ISMSJ

本サイト内の写真画像・コンテンツおよびその一部を許可なく記載することを禁じます。