第3回 だから、戦え!
2014 年 10 月 31 日
2014年10月31日
スタンフォード大学 睡眠医学センター
河合 真
第2回から随分時間が経ってしまった。この間フェローシップは修了するし、次女が生まれるし、次の仕事の手続きが全然進まないし、 依頼原稿はたまりにたまった。それからちょっと宣伝なのだが、丸善出版から本を上梓した。「極論で語る神経内科」という神経内科のやわらか本である。神経内科に興味のある人ならどなたでも楽しんで読んでもられるように工夫をした。一章だけだが、神経内科の本には珍しく睡眠の章が含まれている(私が執筆したのだから当たり前か)。脳を診るためには絶対に睡眠を評価しなければならないという私にとっては当たり前のことを強調している。150ページというあっという間に読破できる分量でもある。というわけで読んで感想を聞かせてもらえるととても嬉しい。
http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/news_event/2014/108852.html
また、ISMSJの学術集会が8 月にあった。皆さんも同じだとうれしいのだけど、これほど出席して楽しいと思う学会は他にない。その理由を考えてみると、「学会の存在する理由とは?」という問いになる。結局、自分が人生をかけたいと思う分野の同好の志と集って意見交換をすることが楽しくて仕方がないということにつきるのだろう。
さて、私はスタンフォードの睡眠医学の臨床フェローシップを6月末日で修了した。最初は「俺がやらねば誰がやる?」などという脂ぎった考えを持っていたが、修了した今となっては本当にやってよかったと純粋に思っている。 やらないと悔いを残すところだった。実は睡眠専門医資格はフェローシップ以前に受験資格審査がゆるかったときにとってしまっていたので、専門医資格をとるという目的だけならばフェローシップを修了する必要はなかった。しかし、フェローシップをやってみると自分の睡眠医学の臨床能力のなさが痛感された。特に小児や口腔の診察である。「小児と口腔だと?大人の神経内科が一体何を血迷っているのだ?」と言われそうだが、今となってはOSASで口腔の診察をしないなど考えられないし、 睡眠専門医を名乗る者が小児の睡眠を診療できないなんて考えられない。
私がフェローシップの間に一番学んだ相手というのはCGその人である。そして、先に述べた「自分の睡眠医学の臨床能力のなさが痛感」というのは「CGと比較して」ということである。このフェローを含めて医師全員、技師、看護師から受付の医療事務の人達にまで「CG」と呼び捨てにされるクリスチャン・ギルミノー先生はとてつもなく濃いキャラクターなので彼に対するも批判もよく聞かれる。実際に私も批判することはある。しかしこの「CGを批判する」というのは、「俺ってCG批判してしまうくらいこの分野はよく知っているよ」というステータスのアピールである要素が強い。彼と比較しないといられない自分の未熟さを逆に感じてしまうのである 。
CGと知り合うと良い点としてはスタンフォード睡眠医学に関わった人なら誰とでも彼の話題で30分くらいは話が盛り上がることができることである。「最近CGは何に興味もってる?」「最近は誰が地雷踏んだ?」なんてことで話題にこと欠かない。
CGの面白さを言葉で言い表すことはなかなか難しい。私もいろいろ偉い医師達と出会ってきたがこれほど型破りな存在はいなかった。CGはチェアマンでもなければディレクターでもないのだが、未だに多くの留学生や見学者が彼を拝みにやってくる。彼の言うことはあまりにも先端を走っているので吟味せずに鵜呑みにすると数年経つと別のことを言っていることがあるので注意が必要であることは以前にも書いた。しかし、その目のつけどころがいちいち面白い。誰よりも患者さんを診て、誰よりもPSGを読んでいるからこその着眼点なのだと思う。彼と知り合いになれたことがスタンフォードでのフェローシップの一番の収穫といってもよい。
さて、フェローシップというのは公式に認可されたトレーニングなので始まりがあれば終わりがある。睡眠医学の場合、期間は1年である。始まりはぬるっとなんとなく始まり、終わりはちょっと派手に卒業パーティーをやって終わるのがアメリカの通例である。スタンフォードでもちょっとおしゃれなレストランで卒業パーティーがあった。こういうパーティーに何回もでている「すれている」私にとっては特に目新しことはなかった。ご多分にもれず、何か飲みながらの世間話から始まり、食事があっていろんな人が「ええこと」を手向けの言葉として送ってくれるわけである。いろいろ内心は思っていてもおめでたい席なのでユーモアをちょっとまじえて当たり障りのない言葉をかけるのが大人のやることであり、あまり核心をついたような話は出てこない。まあ、儀式だから仕方がないのである。そして、CGからのスピーチもあったのだが彼も大人なスピーチをしたのであまり覚えていない。友人となったフェロー達と最後の食事という意味合いの方が多かった。
あれ、これで終わりなのかな?と思ってなんとなく物足りなさを感じつつもフェローシップ最後の日が訪れた。「ああ、もう終わりか、、。」と掃除を終えた自分の机をさらにアルコール綿花で拭いていたらCGがいつもと変わらず「フラッ」とフェロー部屋にやってきて妙にしんみりと話始めた。普段はふざけているフェロー達が襟をただして聞き始めた。何をいうのかワクワクしていると「まあ、一年間長かったな。お前達はいいグループだった。」などと言い出した。そして、
「お前達がここで(俺から)学んだことはスタンフォードの外にでたら多くの人達は知らない。」
「だから、戦え!」
“Lots of people outside Stanford don’t know what you know. So, you have to stand up and fight.”
そのあと”Good luck”といい残して彼は部屋を出て行った。
何を格好つけているんだとも思ったが、彼の歩んできた道のりやら乗り越えたりぶち破った障壁のことを思うと不覚にも感動してしまった。スタンフォードではCGに感化されてしまったフェローのことを「CG病にかかった。」と茶化すことがある 。私もこんな風にできるだけ客観的にCGのことを書こうとしているが、「ああ、真はCG病だから」といわれるほど彼に感化されてしまった筆頭のフェローであった。
「よし、戦ってやる」
そう誓ったフェローシップ最後の日であった。
宣伝に使わせてもらって申し訳ないが、こんな本を書いた。睡眠医学も一章書いている。神経内科の本で睡眠が含まれているのは珍しいのだそうだが、睡眠が人生の3分の1を占めるならば一章も含まれないことの方がおかしな話であろう。
卒業パーティーでのCGとの一コマ。スーツを着ていったがそこはカリフォルニア、「おお、気合い入ってるな」と言われてしまった。CGは海外の弟子からプレゼントされたどこぞの民族衣装をまとって登場してきた。いつも驚かせてくれる。
Dr. Dement(真ん中にいるサングラスをかけた人物)には「えーーっと君は誰だ?なに?フェローシップを卒業するのか?そうか、よしよくやった。」と言ってもらった。 Dr. Mignot(右から二人目)には「やりかけの論文を仕上げろ!」と言われた。