日本臨床睡眠医学会
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第8回 過労死と睡眠時間

2016 年 12 月 21 日

           


スタンフォード大学 睡眠医学センター
                河合 真

電通社員の痛ましい過労死が問題になっている。 SNSでのやり取りも公開されて本当に胸が締め付けられる。「眠りたい以外の感情を失った」という一言に睡眠医学を専門とする医師として「それなら安心して眠りなさい」 という言葉をかけてあげたかったと切に思う。

拙著「極論で語る睡眠医学」(https://www.amazon.co.jp/極論で語る睡眠医学-極論で語る・シリーズ-河合-真/dp/4621300539)にも紹介しているLibby Zion事件でのレジデントの過労の状況を述べた記事の一節に「Deprived of sleep, we roamed the wards(睡眠を剥奪され、我々レジデントは病棟をふらふらとさまよう), dreaming of when we could finally leave,(職場から帰宅できる時を夢見て) dozing off on rounds(回診では居眠りをし)screaming at patients and colleagues(患者や同僚にあたりちらし) and praying we would not make any grievous mistakes(取り返しのつかないミスを犯さないように祈りつつ)」という一節がある。睡眠剥奪による「感情の平坦化」「睡眠への欲求(渇望)」が今回の過労死と共通して伺える。一方は過労死、一方は医療過誤のケースで結末は異なるのだが、人間が睡眠剥奪をされるとどういう反応になるのかは共通している。

ところで、その後の議論がどうもかみ合っていない 。役所は「すわっ、労働時間違反狩りだ!」と息巻いているようだが、労働者には「えーっ、働いたら死ぬなんておかしい(現時点ではマスコミやネットで叩かれるだろうから言えないだろうが)」と「労働」と「死ぬ」ことの因果関係に納得していない人が多いと思う。 役所はよくも悪くも法律に基づいて行動するものだから、「労働基準法違反=悪」という論理でいいのだろうが、「自分で選んだ仕事の労働時間」を役所にとやかく言われたくないというのもわかる。特に仕事の中には「勤務」なのか「自己研鑽」なのかよく境界がはっきりしない仕事も多い。医師の仕事はその最たるものだ。学会出席の時間は?論文執筆の時間は?研究の時間は?勉強会の時間は?など言い出したらキリがない。ここまで極端でなくてもビジネスパーソンにも付き合いゴルフの時間や付き合いの飲み会、接待、食事などは勤務なのか区別のつきにくい時間はある。実際に会社で勤務していなくても「仕事のために」時間を使っているのだから勤務と言えないこともないし、実際アメリカの企業では勤務扱いになることが多い。

この議論をする前の一般的な知識として 長時間労働と死亡(自殺や心血管イベント)の間には相関関係があることは知っていてもらいたい。


『長時間労働者の健康ガイド』
独立行政法人労働安全衛生総合研究所及びLiu Y, et al. Occup Environ Med 2002;59:447-451




普通に想像して「過労死」なる言葉があるのだから「働き過ぎる」と「死ぬ」危険が高まる。これは厳然たる事実だ。「働き過ぎ」という言葉にはいろんな要素があるのだが、勤務時間を基準に考えるのが最も分かりやすい。それ以外の仕事毎のストレス強度などはひとそれぞれの感じ方が違うのでパラメータとしては使いにくい。

なぜ勤務時間が長いと「死ぬ」のだろうか? ここも労働者が納得できない部分がある。例えば午後5時に退社する予定が午後6時になったとする。それで「過労死する!」と騒ぐのは馬鹿げていると皆思うだろう。では、それが午後10時になったら(さらに深夜0時になったら)どうなるだろうか?「うっわー、うちの会社ブラックだわー、やばい(これ続けたら体壊す、死ぬ)かも」と思うだろう。 この差はなんだろうか?

下記の表を参照すれば、 週労働時間が65時間になると1日あたりの労働時間が13時間になる。たとえば午前9時から働くなら午後10時まで勤務することになる。(これを見ると医師の週80時間労働時間制限の特殊性がよく分かる)



『長時間労働者の健康ガイド』
独立行政法人労働安全衛生総合研究所及びLiu Y, et al. Occup Environ Med 2002;59:447-451




ここで大変重要なことを認識する必要がある。下の図を見てもらいたい。それは、ある一定以上の勤務時間になると確実に睡眠時間が短くなるという厳然たる事実である。これが大体週50 時間から60時間あたりが境目になっていることが分かる。これは「ちょっとテレビを我慢すればなんとか睡眠時間が確保できる」状態から「帰宅の時間があまりに遅いのでどれほど効率的にやっても就寝時間が遅くなって睡眠時間が十分とれない」という状態になることを意味する。そして、働き者で通勤時間の長い日本人に許されている時間的なバッファーは実はほとんどなく、下の図のように勤務時間が長くなれば睡眠時間が短くなる。「睡眠時間が短くなると死ぬ」というのはなんとなく納得できるのではないかと思う。


http://www.jniosh.go.jp/publication/doc/houkoku/2012_01/Health_Problems_due_to_Long_Working_Hours.pdfより一部参照



残業はいつまでたっても減らないし、建前の勤務時間ではどうにもならないということで生まれてきたのが勤務間インターバルという考え方である。以下の労働安全衛生総合研究所のホームページに詳しく説明されている。 https://www.jniosh.go.jp/publication/mail_mag/2015/81-column-2.html
勤務時間がなかなか制限できないから勤務時間のインターバルを確保すれば睡眠時間や休息時間が延びるに違いないというものだ。

「勤務間インターバルの時間があるから遊んでしまって睡眠時間が延びない」なんて不届きな労働者がいても不思議ではないと思っていたらそうでもないらしい。みな休みがあったらとにかく眠りたいのだろう。この勤務時間インターバルは米国のシフトワーカー達に結構取り入れられている考え方でもある。そして勤務間インターバルが11時間を切ると身体(脳を含む)に悪影響を及ぼすらしい。この11時間の勤務間インターバルというのは過労死ラインの月残業80時間に相当する。守るべき最低限のラインということになる。



「労働安全衛生研究」, Vol.7, No.1, pp.23-30, (2014)



さて、勤務間インターバルを守ることができればいいだろうが、当然のことがら万能ではない。シフトワークで「会社にいないと仕事ができない」ような職種だと効果があるだろうが、「家に持ち帰って仕事ができてしまう」職種だと勤務間インターバルがあったとしてもその時間が睡眠時間や休息に充てられるとは全く限らない。そして、大変残念ながら昨今インターネットの発達により「どこにいても仕事ができる」環境が整いつつある。ちなみにアメリカの病院は最近どこにいてもカルテにアクセスできて仕事ができてしまうようになってきている。「アメリカだから」便利さ(わざわざ病院に行く手間が省ける)が勝っているがこれが日本だったら便利さよりも「いつまでも働かなくてはいけない」上に残業代も支払われないという問題の方が大きくなるのではないかと容易に想像できる。

こういうオンオフの境界がはっきりしない職種での労務管理の行き着くところは睡眠時間管理しかないのではないだろうか。以前「ぱちもん」だと批判した昨今はやりのウェアラブルデバイスは睡眠時間管理に使うのが世のため人のためになるのかもしれない。睡眠時間を誰かに見張られて管理されるなんてゾッとするが、基本的にワーカホリックな民族である日本人には「睡眠時間」 を「管理し」「強制」しないと過労死(睡眠剥奪死)の悲劇は今後も繰り返されると予想される。

最後に一番大きな問題を述べたい。時々米系の飛行機が天候不良でもないのに出発時間になっても飛ばないことがある。そんな時に「この飛行機に乗務する予定であったCAが昨日の夜の到着便が遅れたために、次の勤務(つまりこの便)に入るための(勤務間)インターバル確保のため出発が遅れます。あと30分したら着きますのでお待ち下さい」などという説明されることがある。アメリカはこれで「まあ、しゃーないな」「眠たい頭で勤務されると困るしな」という雰囲気が乗客の大部分に漂う。日本だとどうだろうか。間違いなく「あほか?知るか?ふざけるな。ちょっと頑張ればいいだけやないか?」となる 。この「睡眠時間確保」に対する社会の認識の違いと成熟度の差が労働者を追い込むのである。「業界の常識」「業界の要求レベル」というものがあらかじめ決まっているので会社も生き残るためにどうしても長時間労働をさせてしまう。「業界の空気」がありそれをみんなが「空気を読んで」いるので一会社の努力でどうこうできないということこそが問題の本質である。「空気をつくり」「空気を読み」「空気を読むことを善とする」我々が労働者を過労死に追い込んでいることを自覚せねばならない。「ああ、その締め切りには間に合いません。なぜなら勤務間インターバルを取らなければならないからです。」という言い訳を「なら仕方がないですね。待ちます。」と言えるだろうか?「では、締め切りに間に合う(ブラックな)会社と契約します」となるだろう。それを変えるには行政が「業界全体に」「一斉に」 強権をもって介入せねばならない。そのために過去の「飲酒運転狩り」のような(ちょっと病的な)「労働時間違反狩り」「勤務間インターバル強制」「睡眠時間強制」も仕方がないと考えるし、そうなってほしいとさえ思う。


今年のコロラドで行われたAPSS (Associated Professional Sleep Societies,睡眠の臨床家の学術団体であるAmerican Academy of Sleep Medicineと睡眠研究者の学術団体であるSleep Research Societyが合同で学術集会を開くようになっている)年次集会での立て看板。学会にでることは労働かどうか考えたこともないが、学会参加中はちゃんと睡眠がとれているので問題ではない。
この立て看板によると最低7時間の睡眠が確保できていない大人の比率が高い周ほど濃い色に色分けされているらしい。アメリカでは東海岸で睡眠時間が少ないようだ。


労働生産性という尺度だけで労働を語るのは納得いかないかもしれないが、左が労働者一人あたりの年間の生産性(いくら稼ぐか?)で右が1時間あたりの生産性である。残念ながら日本は能率が悪いと言わざるを得ない。これを改善する時に分子である総生産をあげることがばかりに目が行くのが日本人の性質だと思うが、(右のグラフでの)分母になる勤務時間を減らすことが手取り早い方法だ。




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